野田文七のブログ

東方Projectの小説書いてます。劇団文七団長。
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雅趣雅俗(春日傘氏著)「不可能な境界Rewrite 機彜響
人が思考しているその内容は、基本的には目で見てわかるようなものではありません。
この本は、その思考という目に見えないものを、可能な限り活字に写し取ろうとしています。
だから、辞書的な情報の羅列とは一風違った書き方になります。
辞書的でないということは、一覧性を欠き、読むと所々でつっかえ、寄り道や雑談が多いということであり、それがこの本の持つ魅力に直結しています。この本は、思考を追いかけるという性質上、上記の一般的には欠点と目されるものを含み込むことで、むしろリアリティを増しています。
勝海舟、斉藤一、徳川慶喜というそれぞれの立ち位置から、断片的な情報を語らせることで、主人公宇佐見は核心に近づいていきます。
核心がわかっているなら始めから書けばいいではないか、ともなりそうですが、ただ核心を書くだけでは、意味をなしません。
基本的に、小説とは無力な文字の印刷物に過ぎず、そこに魂があるかのように錯覚するのは、人間の作為です。
嘘の羅列に過ぎないものになぜ魂が宿ったかのように錯覚するかというと、文字の中で読者が感情や思考を振り回されるからなんですね。そうして振り回されると、ただのインクの染みが、時にその人に強烈な影響を及ぼすことがあります。
この本でいえば、八雲紫の意図はこれこれこういうものですよ、と書くだけでは、誰も何も響きません。
命を与えられたキャラクターがそれぞれに懊悩しているからこそ、紫の意図がそれだけ凄みを増してきます。
何を当たり前のことをくだくだと、と言われるかもしれませんが、こうして文章で改めて考える機会自体を、この本によって与えられました。
あらすじは、八雲紫が日本の歴史、さらにはどうやら宇宙の仕組みにまで介入している……ごくシンプルにいうとそういうことです。
そんな凄い奴ならいちいち人間に関わったりしないだろうが、というツッコミを、いやそうではないのだ、と。なぜ彼女が人間を必要としているのか、という問いに、作中で立ち向かい続けます。
人間と妖怪の関係、地球と月の関係、そもそも幻想郷とは何を指すのか、といったテーマを並べ、類推し、妖怪とは何か、突き詰めます。
一応作中で「何故、私は今此処に存在しているのかという問は全く非生産的で無意味ではありますが、そういう無駄の積み重ねから私のような妖怪が生まれました」と、かなり早い段階であっさり真相が話されてはいるのですが、当然これだけではなんのこっちゃわかりません。たぶん書いた本人もこれだけではわからなかったはずで、だからこそ長い物語を編む必要があったのでしょう。
登場人物たちは、少しでも自分が理解したものを的確に主人公宇佐見に教えようとし、だからこそ迂回、蛇足、誇張、激昂を次々としていき、まったく要領を得た会話になっていません。そもそもこんな長々と会話することは普通は不可能です。にもかかわらず、このありえないほど長い会話によって、この本のリアリティは保たれています。
これが、単に調べた事実を延々とコピペするだけでは、仮に同じ情報内容だったとしても、まったくリアリティは感じなかったでしょう。
終わりに、話そのものというよりは文章技法として気になった点を。
この第一巻は、勝海舟の「氷川清話」がベースになっています。(違ってたら失礼)
だいたい現代日本の著名な文筆家に、ランキング付けする無粋さを承知の上で、などと前置きして日本近代文学のアンケートを取ると、これと「福翁自伝」のどちらかが、あるいはどちらともが、高確率でランクインします。
それだけ、話題も、話芸も、卓越しているんですね。これを筆記して後世に残した人たちも偉いとは思いますが。旧仮名遣いなんかをちょっと調整したら現代人でもストレスなく読めるって、つくづくたいしたものだと感心します。
だから作中でも、勝海舟の長台詞は躍動感がありほとんど違和感がないのですが、さすがに斉藤一と徳川慶喜は厳しいですね。
三者三様になるよう、口調や語尾をかなり変えてはいるのですが、そもそものベースが、維新を生き抜いた人間の自分語りとなっている以上、どうしたって「氷川清話」の影響を受けざるを得ません。
斉藤や徳川が、勝のように饒舌になる場面を想像することは困難です。
かといって彼ら二人のパートだけ急に回想モードにして地の文で説明する手法も取りづらいです。
なぜなら、様々な人間の主観交じりの語りを主人公宇佐見が聞き取っていくという形式を外してしまうと、得体の知れない巨大な謎に右往左往する人間たち、というこの本の重要なテーマ性が薄れてしまうからです。合間合間で、八雲紫が人間の常識ではありえないやり方で語りに介入してくる面白味のある場面も、使えなくなってしまいますしね。
となると、斉藤と徳川の語り口の若干のぎこちなさは許容せざるを得ません。
お前ならどうするんだ、と言われても、容易には答えが見つからないからです。
東方を通じて、人の一生や歴史について考えることができる、お勧めの本です。
このあと第二巻「藍色の華」に物語は続いていくようです。この第一巻で、大量の謎はあるにしても、ひとまず話としては完結しているようにも見えます。さて第二巻ではどうなるのでしょうか。
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